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「政治を我が事として考える」
2025年3月1日
福田弘 大阪市政調査会(大阪市在住)
事務所の引っ越し作業の途中、書架の奥から『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』(新評論)という本が出てきた。1997年に出版された本で、あらためて一読してみた。とりわけスウェーデンの地方自治体であるコミューンについての章で、コミューンの政策に影響を与えるために政党に働きかけたり、デモをしたりする手段があると書かれていることが印象的だった。コミューンの仕組みを説明する前に、章の冒頭で「やってみることが大事だ」という節があり、若者たちが自分たちの会館をつくるために運動した事例が紹介されている。
日本では政治に関わることを避け、それどころか「意識が高い系」と冷笑する傾向がある。その一方で、東京都知事選や兵庫県知事選でみられたような極端な高揚や投票行動も散見される。SNSの影響等が指摘されているが、その根底には「政治とは自分たちで問題を解決するためにあるものだ」という意識の欠落があるのではないか。
スウェーデンの教科書に記載されているような当事者意識を持つための教育を行ってこず、実際の経験を積む機会も日常的になかった。政治は自身とは別のところにあって、誰かがしてくれるものだと思い込む姿勢が、極端な失望と希望を生む。その結果が、ネット社会の到来によって特異なかたちであらわれたのではないか。小泉劇場や維新の会の登場、あるいは地滑り的勝利による民主党政権の誕生も同様だったのかもしれない。
このような状況は、SNSの規制や選挙制度の改革だけでは変えられない。教育や日常生活のレベルから考えていく必要がある。スウェーデンの教科書では、人は1人では無力であり、様々な団体・グループと関わることの重要性が書かれている。コミュニティが希薄化し個人の孤立化が進めば、日本の状況はさらに深刻化するだろう。
地元の飲食店で、自治体議員を招き政治について語る会を行ったことがあるが、参加者の多くが、日常会話で政治を話題にしにくい雰囲気があると話していた。ただ興味深かったのは「大阪都構想」にかんしては、様子が違ったそうだ。大阪市の廃止の是非について住民投票での二者択一を迫られる経験は、自分とは無関係だった“政治”が、一気に“我が事”になる、ある意味ショック療法だったのかもしれない。
教育から変えることは困難で長い道のりとなるだろうが、まずはいまからできることとして、身近なところから「政治を語る場」をつくっていきたいと思っている。
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